学生時代には
学内でも多くのライブに出演していたが
その中でもやはり1年に1度の学園祭でのライブは特別なものだった
学園祭では準備に1日
片付けに1日をもうけて
その他に演奏が可能なライブ本番が2日間あった
学内の教室をライブハウスにするため
教室の机をすべて運び出さなければならないし
照明や音響設備の準備も
自分たちで行わなければならないので
当日に向け
サークル内で様々な打ち合わせを重ねて当日を迎えるのだが
それでも学園祭の期間中はやることが多く
とにかく慌ただしい日々だった
Red Colored Gunのメンバーは全員音響のスタッフとしてステージの設営をしていたが
配線が終わって
問題なくスピーカーから音が出た時の嬉しさと
これでなんとか本番を迎えることができる
という安堵感は
いまでも忘れることができない
そんな学園祭の中でも
とりわけ強く印象に残っているのが
学内に中島大介が残る最後の年であるバンドにとって3年目の学園祭だ
その年の学園祭で
Red Colored Gunはサークルの他のメンバーのサポートとして演奏するものも含めて
午前と午後で1日3~4ステージ
2日間で6~7ステージに出演していた
学内のライブと並行して
当時すでにライブハウスへも出演していた僕らは
他のサークルも含めてコピーバンドでの出演が多かった学園祭でも
オリジナルの楽曲での出演にこだわった
自分たちのオリジナル楽曲で学園祭のステージを盛り上げるという強い意志で
3年目の学園祭のステージに臨んだのだ
当時僕らのバンドはすでに学内でも何度かオリジナル楽曲でのステージを経験していて
今もステージで演奏しているMellowやGuideといった楽曲もあった
学園祭に向けて後輩から演奏楽曲のリクエストをもらうなどということもあり
バンドとして少しづつ自信を深めていった時期だった
他の音楽サークルの中でも僕らは
大きな音楽部に所属せず小さなサークルで結成されたバンド
防音設備のないスタジオで練習しているバンド
オリジナル楽曲を作成しているバンド
学生でありながらライブハウスに出演しているバンド
として
良くも悪くも注目を集めていたため
ライブ当日はサークルのメンバー
他の音楽部に所属する学生
一般のお客さんなど
多数のお客さんが集まった
高い緊張感のなかであったが僕らは気持ちの入ったステージをやることができて
大盛況のライブとなった
また学内やライブハウスでオリジナルの楽曲をライブで披露するにあたって
Red Colored Gunというバンド名が正式に決定された
この名前は当時注目していたインターネット上の音楽情報サイト名をもじったもので
長い間決まらなかったバンド名もやっと決まり
バンドは大きな変化の渦中にいた
学園祭で大きな手ごたえを得た僕らは
中島の卒業後もバンド活動を継続していくこと
そして同時に
本格的なライブハウスへと活動拠点を移行していくことへの
決意をさらに強めた
バンドとして強い覚悟をもって臨んだ最後の学園祭は
新たなスタートへとつながるとても大切な分岐点となった