Alternative Garage Rock'n'Roll Band RedColoredGunのブログ

Red Colored Gun Vo.G 三吉 秀典 Ba. 中島 大介 Dr. 直江 卓哉 によるAlternative Garage Rock'n'Roll Band 2001年6月大学内音楽サークルにて結成。 学内スタジオでのセッション期間を経て、活動の場をライブハウスへと移行。 三軒茶屋Heaven's Door,渋谷Chelsea Hotel,六本木Club Edge, 新宿Loft,松本Mole Hall,赤坂天竺,下北沢Shelterなどでライブを行う。

大学生活最後の1年



2004年
大学生活の4年目は一足先に卒業した中島を除いた
僕と直江が学内に残る大学生活最後の1年となった

 

 


僕ら二人は
卒業の際に中島から
自分のことを気にせずに残りの一年も自由に音楽活動をしてほしい
と伝えられていた

 

 

大学入学以来
絶え間なくライブを行っていたことから僕は
大学生活最後の1年もサークルの仲間や後輩のサポートとして
ライブに出演していこうと直江に提案を持ち掛けたのだが
直江の答えは
今後も今まで同様Red Colored Gun以外の音楽活動は一切考えていない
というものであった

 

 

彼は今まで築いてきたスタイルを変えてまでライブに出演することに意味はなく
今後もRed Colored Gunとしての楽曲制作を続行するべきだと強く主張してきたのだ

 

 

この言葉を受けて
僕らの大学生活最後の1年は入学以来初めてライブ出演のない1年となった

 

当時
社会人1年目の中島と卒業を控えた僕ら二人にはライブ活動再開の見込みは
全くなかった

 

 

だが卒業後必ずまたバンドが再結集し

ライブ活動を再開する日が来ると信じて

直江と2人でのセッションの続行を決めることとなった

 

 

そうして新たに始まった2人のセッションでは
ライブ出演を前提としなくなったことから
今までのセッションとは全く別の価値観が生まれていった

 

 

年間に5本程度あるライブに向け
今までの僕らはより多くの楽曲を作ることを最優先の課題としてセッションを
行ってきたが

楽曲制作の期限がなくなったことから1曲に向き合う時間が以前より長くなり
楽曲の構成や展開を再検討し楽曲の完成度をさらに高めようという意識が強まっていったのだ

 

 

またこの頃から
直江のドラミングに対する価値観も徐々に変化していった

 

 

今までどちらかと言えばフィルインのフレーズを重視して
楽曲を組み立てていた直江だったが

より楽曲を深く理解し
楽曲の骨組みとなるグルーブを緻密に組み立てるスタイルへと変化していったのだ

 


この変化はバンドとしても歓迎すべきものであった

 

 

楽曲を客観的な視点でとらえ表現すべきポイントを絞り込むことは
バンドから生まれる楽曲をより多彩にし

結果としてバンドの可能性を広げることへとつながっていったのだ

 


在学中
学内のライブや八王子Rips

クラブチッタ川崎などのライブハウスに出演していた
僕らだったが
この時期に生まれた楽曲を携え数年後

渋谷チェルシーホテル

下北沢シェルター

渋谷ギルティ

赤坂天竺

六本木クラブエッジ

新宿ロフト

三軒茶屋ヘブンズドアといった
都内のライブハウスへと活動の拠点を移していくこととなる

 


大学生活の最後の1年はライブ出演こそなかったものの
多くの時間をかけ再度自分たちのスタイルを見つめなおす1年となった

 

 

そのことからバンドの価値観も大きく変化することとなり
バンドの存続への意識もより高まっていった

 


大学生活の最後の1年は

のちの活動につながるターニングポイントとなる大切な1年となった

 

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